ドラゴンの遠吠え

毎日ちょびっとだけ楽しくなることを書く、雑記ブログ。

【大学入試】7回落ちた時の話

こんにちは!

りゅうです✨

 

新型コロナウイルスで大きく取り上げられている項目のひとつ。

「教育」の問題があります。。。

 

特に中学・高校の3年生は受験を控えて、勉強により一層力が入る年。

この時期に授業が受けられないのは非常にダメージになっている学生も

多いはず。

 

どうしたらいいか分からない学生も多いのではと。。。

感染が落ち着いている地方から通学が可能になるのでは...とか、

格差の面で本当に大きな問題になってますよね。

 

私は8年前に大学受験を経験しました。

恐らく同級生の中でも最も多いのではないかという、7回落ちました。

かなりのダメージを受けましたね...笑

しかし運良く受かった大学で、順風満帆な大学生活が送れました。

 

私の学生時代は野球に注力を注いでいたので、受験も野球中心でした。

読者の皆様には参考になるか分からないですが、

こんな人でもやっていけてるんだと思って、気楽に読んでいってください!

  

 

1.高校時代は勉強を全くしてなかった

 部活漬けだった

 

冒頭にも書きましたが、私の学生時代は野球漬け。

小・中学生までは学習塾に通い、高校は背伸びして学力以上の

高校に入学しました。野球のレベルは県ベスト8常連のそこそこチーム。

 

勉学に力を入れている高校の中で、私はひたすら野球に夢中。

ピッチャーとして、準優勝1回・4強が1回と、野球は頑張りました。

 

一方で、勉強は全くしていませんでしたね。

定期テストは毎回赤点ギリギリ...授業中に居眠り...散々でした。

まだ野球での立場がなかった1年生の時には、

担任に、「学校辞めろ」と言われたこともありました。

 

それぐらいひどかったですね...笑

 

 スポーツ推薦を狙うも故障で手術

 

高校3年の春に、利き腕である左肘の靭帯に損傷が見つかりました。

選手の層が薄いチームだったので、ピッチャーとして酷使された結果です。

 

4日間で3試合を1人で投げ切るなど、辛い経験もしました。

 

大学でも野球を続けたかった私は、遅くとも高校3年生の9月には

左肘の手術をしないと、大学デビューに遅れるというので手術を決断しました。

 

関西のS大学が、スポーツ推薦枠で私を獲得しようと話があったみたいですが、

左肘の故障で無くなったと聞きました。辛かったですね。

 

 

2.大学受験で落ちまくった

 唯一スポーツ推薦に賭けた大学に落ちた

 

野球は、大学で硬式野球を続ける意志のある高校3年生を対象に、

スポーツ推薦枠で獲得する野球の実技テストを行っている大学があります。

(セレクションと言います。)

 

手術を行うタイムリミットまであと1ヶ月の、高校3年生の8月。

私はコーチの母校であるA大学に、セレクションを受けることにしました。

 

結果は、補欠合格みたいなものでした。

 

私がA大学に行けるには条件がありました。

①左投手であること

②合格させる左投手は1名

 

この2点でした。

 

セレクションを行ったのは8月。。。といえば、

夏の甲子園が開催されていました。

A大学は甲子園大会に出場している、ある高校の左投手をスカウト

していたのです。

甲子園に出場するような選手なので、私より能力が高いのは確実です。

その選手が他の大学に進学を決めない限り、私の合格はありませんでした。

 

後日、その選手はA大学の進学を決めたため、私は不合格を告げられました。

 

そして、9月。手術によって、野球という武器を取り上げられるとともに、

1ヶ月の入院と、全治6ヶ月のハンデを背負って受験シーズンを迎えました。

 

 3月中旬まで行ける大学が決まっていなかった

 

勉強を全くしていなかった私は、ここからどん底の受験生活が始まります。

学力は皆無。何もわかりません。

週4日の左肘のリハビリ通いも大きなアドバンテージでした。

 

10月。

セレクションで落ちたA大学への自己推薦入試で2度落ちました。

 

年が明け、一般入試からでも野球部に入れる大学を探しました。

見つけたのが、東京のB大学とC大学。

 

B大学に2度。C大学に2度。不合格通知が届きました。

 

ここまでで不合格を言い渡されたのは7回

もうどうしようもない状況です。

すでに3月。高校の先生からも見放されていました。

 

3.まとめ

 拾ってくれた大学があった

高校3年生の3月。

 

卒業式も終わり同級生は新生活の準備や、卒業旅行に行っていました。

私は当然卒業旅行にも行けず、同級生の中で最後まで進路が決まっていませんでした。

 

ある日、3月末に自己推薦入学を募集しているD大学の話を聞きました。

恐らく定員割れと、進路が決まっていない生徒の救済の意味もあったのでしょう。

 

左肘も回復し、面接と野球部の入部テストを設けてくれました。

 

結果は合格!!!

 

この時点で3月24日...。

長くて苦しい受験生活が終わりました。

 

本当に勉強って大事ですよね。。。

 背伸びしないことも重要

拾ってくれた大学は、部員が120人いたが特別強豪でもなかったので、

早いうちから試合にも出場できました。

 

後々聞いた情報によると、私が受験に落ちた東京のB大学とC大学。

一般入試で合格できても野球部の入部希望者が多かったらしく、

大学には行けるが野球部に入れない問題が発生してたみたいで。。。

 

私もそこに受かっていたら、野球ができていなかったかもしれない。

 

勉強していなかった事は良い事ではないが、

いい仲間にも出会えて、幸せな生き方もできました。

 

受験とは、とても大事な事です。

勉強はしておいて損は全くないと思っています。

 

受験で思うようにいかなければ、幸せになれない。

勉強ができなければ幸せになれない。

 

という事ではないと思ってます。

 

受験生の皆さんの緊張が、和らいで下さったら幸いです。